勘違いをしそうな「自分」に、「私」はまた言い聞かせる。
“いいか「自分」、気は確かか「自分」、それは錯覚なのだ。正真正銘、錯覚なのだ。
だってそうだろう。都合がよすぎるのだ。
そもそも、「自分」の勘違いという可能性も十二分にあり得るのだぞ。それなのに、そうだったら、ただただ恥ずかしいだけだろう。
だから錯覚に騙されるな。もう一度己の気持ちを思い知れ。”
しかし、「自分」は反論する。
“でも、しょっちゅうあいつが脳裏にちらつくんだよ。しょっちゅうしょっちゅうあいつを思い出すんだよ。
確かに勘違いかもしれない。錯覚かもしれない。ただただ舞い上がっているだけかもしれない。
でもじゃあこの気持ちはなんだ?
この得体のしれない気持ちはなんだというのだ?”
“だからそれが錯覚なんだ。いい加減分かれ。
そもそも、「自分」は恋愛感情など過去に置いてきたのではなかったのか!”
“それは、そうだけど。
でも取り戻せるということもあるかもしれない!”
“なんとまあ、ご都合主義なこった。そんなんだからお前は毎度毎度苦労しているんじゃないのか。
事実、お前はそれで嫌な思いをしていただろう。お前はその事実を忘れたのか?”
“忘れたわけじゃない。なにせ現在進行形といっても過言ではないんだからな。
でも、でも、じゃあ「私」は二度とそういう感情を抱かないというのか?そんなことはないだろう?
取り戻せる日だって、来てもいいんじゃないか?”
“――――ッ、しかし、・・・・・・。
・・・・・・もういい。知らん。
とにかく、「私」が言いたいことはただひとつ、それは錯覚で合って本心でない、ということだけだ。
肝に銘じておけ。”
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