今日のわたしは饒舌なので、いつもと同じような話をします。
わたしは、あまり自分に自信がありません。
自分に出来ること、人より少しでも優れているところが、圧倒的にないからです。
それでも不思議なもんで、わたしの周りにはわたしを好いてくれる人が居ます。しかも結構居ます(自惚れかもしれませんが)。
みんなはわたしの何がよくって一緒にいてくれるのでしょう? これは、わたしが十六年ばかり生きてきて、最大の謎です。
だって、わたしがもしわたしでなく、わたしの周囲にいる別の誰かだったとしたら、わたしはわたしとお近づきにはなりたくないですよ。(なんてややこしい文章だ)
本当に、何がよくって傍にいるんでしょうか。
自分で言うのもなかなか嫌ですが、わたしはまず、頭がよくありません。勉強的な意味でもそうですし、頭の回転とか、なかなかダメです。なによりもまずわたしは頭が悪いです。それに加えて性格も良くありません。むしろ悪いです。どろっどろです。表に出てないようで出てますので、これは結構わかりやすいと思いますが。それに加えてわりとわがままですし、自己中心的です。普段、冗談で「わたしかわいいからー」とか言ってますが、別にそんなこともありません。良くて人並みです。これといった特技もありませんし、一緒にいて得をすることもないです。みんなに「すげー!」と言われることは何一つないし、みんなを喜ばせてあげることも何一つありません。いつもまわりには迷惑をかけてばかりいます。迷惑しかかけてない勢いで迷惑をかけています。
何を大げさな、と文章を読む限り思うかもしれませんが、これらはわりと真実です。少なくとも自分ではそう思っています。他のみんながもっと好意的に見ていてくれたとしても、わたしは、このような自己評価しか自分に下せません。それくらいわたしはろくでもない人間だからです。
しかし、なんとまあクズなことに、わたくしの劣等感と矜持は比例しております。ここまで読んで、わたしが劣等感の塊だと感じられたのなら、それと同じだけ矜持、つまるところプライドも高いとお考えください。わたしというのはそれくらいのクズです。
だから、わたしは人に、自分の考えていることを話すのが苦手です。本当に心の奥底に思っていることほど、誰にも言いません。心の奥底に封印してあります。
それでも堪え切れなくなったら自分一人にしか見えないような、けれどもおおっぴらに公開してあるような場所(つまるところここ)に、思いを文章にしてポイ捨てしてあるわけです。でもそれはわたし的に最終手段で、つまるところ、わたしは溜めこむタイプなのです。いい言葉も、悪い言葉も。
こんな文を、こんな考え方を、わたしの好きな人たちに見られるとなったら、たまったもんじゃないです。わたしの矜持が、劣等感が、見せることを阻みます。
結局、これを書いてていちばん何が言いたいかっていったら、みんなに「なんであたしの傍にいるの?」って尋ねたいのです。
なんでわたしの傍にいるんですか?
なんでわたしのこと、好きでいてくれるんですか?
不思議で不思議で、しかたがないです。みんなわたしのどのあたりを見て一緒にいるんですか? こんな劣等感と矜持の塊のどこらへんを見て、好意的になってくれてるんですか? 可能ならば聞きたい。面と向かって。しかしそれは出来ない。なぜならわたしが劣等感と矜持の塊だから。すべてはこのふたつが悪いのです。この、わたしを形作っているふたつが。
ちなみに、わたしは、わたしの周りにいるすべての人が好きです。みんなのいいところならいくらでも並べることが出来ます。
そう考えると、わたしがいかに自分のことが嫌いか、というのがよくわかりますね。
わたしは自分が嫌いです。でも嫌いな自分を好きでいてくれるみんなは好きです。みんなが好きでいてくれる自分、と考えると、ちょっとは好きになれるでしょうか。
文章が支離滅裂ですが今にはじまったことではありません、元々です。
言いたいことを言おうとするほど、文章にまとまりが失われていく。
いつも同じような話をしていますが、それはわたしがいつも同じようなことを思っているからです。多分、この考え方は一生消えないんじゃないでしょうか。
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