忍者ブログ
  • /02 «
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • » /04
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

いちばんおそろしいことのお話
PR
.

思ったことの雑記

*みんなの合否発表があって、受かった人にはおめでとう、と言ってあげられるのに、受からなかった人には何て言ってあげればいいのかわからない。慰める言葉が見つからない。
悲しさとか、悔しさとか、全部受け止めてあげて、なにか気持ちが軽くなることを言ってあげたいのに、わたしにはどんな言葉をかければいいのかがわからない。受け止めることしかできない。受け止める、だけじゃダメなのに。わたしは何も言えない。ここへ来てようやく、自分が口下手なのに気がつく。
大切な人たちだから、だから尚更何か言ってあげたいのに、わたしは何も言えない。どんな言葉も思い浮かばない。やっぱりわたしは何もできない人間だ。大切な人ひとり、慰めることすら出来ない。

*高校のこと。厳しいっちゃ厳しい、と言われた。そりゃあそうだな、と思う。この成績じゃあなあ。でも、確実に伸びてはいるはずなんだ。そうでなくちゃ困る。
それに先生に言われた。厳しいことには厳しいが、受かると思うって。わたしには面接があるから、それで巻き返せるんじゃないかって。
正直、落ちれば後がないんだけど、でもやっぱりいちばん行きたいのはあの高校だし、頑張るしかないな。自分の為。自分の為に。

「変わっている人」と「浮いている人」は、決してイコールではない。
前者は、どれだけ周りとかけ離れた性格や思考をしていても、必要があればきちんとその場、周りに合わせることが出来る人間だ。だからこそ、周りに馴染んで、受け入れてもらうことができる。要は、変わっていても相手や集団のことを考えられる人間が、自らのアイデンティティをプラスの方向にとらえてもらえるわけである。
それが出来ない後者は、ただの協調性のない困ったちゃんでしかない。人のことを考えない人間が自分のことを考えてもらえないのは、至極当然のことと言えよう。
「浮いている」人間には、性格に難のある人物が圧倒的に多い。だから「浮く」のだとも言えるだろう。
「変わっている」人は、性格は変わってこそいるが、決して悪くはない。そこが、「浮いている人」と「変わっている人」の差異だろう。
それなのに、「自分は人と違うから周りと合わないのは当然、合わせる必要もない、でも周りは自分を認めなければならない」なんて、身勝手な勘違いをしている人間が後者には多い。そうして、周りは自分よりも劣っているのだとか、周りの人間はくだらないのだとか、そう言ったことをのたまうのだ。
そのことでいじめに遭っている、と思う人間もいる。尤も、それはただ「浮いている」だけなのであって、決していじめの範疇には入らないはずなのだが。
「いじめ」とは、いじめられている人間がいじめだと感じたらそうである、というのを聞いたことはある。しかし、それは違うだろう。無意識に、主導者不在で行われているのなら、それは単純にその人物が周りになじめていない、好かれていないだけだ。「いじめ」は、主導者と悪意が存在しなければ成り立たない。
何が理由であろうといじめというものは絶対によくないわけだが、しかし、誰かが好かれていない、なじめていないという状況は多かれ少なかれ、必ず発生してしまうものだ。そして馴染めない状況は、多くの場合その本人に原因がある。なのにそれを「いじめ」であるとその本人が主張するのであれば、周囲はたまったものじゃないだろう。周囲のことを考えられないようなわがままな人間に、どうしてこちらばかりが気を使わねばならないのか。そう考えて、ますますその本人は好かれなくなっていく。
「浮いている」人間が、自分がわがままであると気付くのは難しい話だろう。そういった人間は大抵、自分が正しいと思っているから。
「浮いていない」我々は、「浮いている」人間にならないように気をつければいい。「浮いている」人間は、放っておけばいいのだ。痛い目を見るのは自分なのだから。


今朝は随分と取り乱していた。
そしてわかった。やっぱり私には限界が来ている、と。
朝っぱらから一人っきりの部屋で、まさか号泣するとは思わなかった。声をあげて泣いたのなんて一体どれくらいぶりだろうか。直接的な理由もないのにここまで泣くということは、私はもう随分と前からつらかったのだろう。
だから、今日は家にいて、正解だった。
学校で泣いてたら、ざまあない。学校を休むよりも多くの人に大きな迷惑をかけることになるし、何より私がその行為に我慢ならないだろう。だから今日は学校を休んでよかった。
しかし、気を逸らすということは非常に大事なことである。
泣いたそのあと、何を考えてもうしろむきで、とにもかくにも死にたくてしょうがなかった。それはまあ今もあまり緩和されてはいないのだけれども、けれどこのままではいけないと思って、とりあえず読みかけていた「そして誰もいなくなった」を読破した。そうしたら随分気持ちが落ち着いた。それこそ、ここにこうして文章を起こせる程度には。気を逸らすということは非常に大事なことである。
でもまだ誰かと関われるまでには回復していないように思われる。誰か、肉親以外の人物からの干渉を受けると、また逆戻りしてしまう可能性が多分にある。また泣いてしまう。
だから今日は極力、携帯の電源を落としていよう。連絡が来るなんて自惚れかもしれないが。
「Yb allul」はなんだかどこかの民族音楽のようだ、と思う。
雰囲気素敵。
正規歌詞も素敵。
3Lさんはハンパない。
.
BACK * HOME * NEXT
BrownBetty 
忍者ブログ [PR]